進学先 大阪大学 基礎工学部システム科学科 修道高校 世良 京太

大木スクールで良かったこと
理科、数学は添削形式の授業で毎回自分がどのようなミスをしやすいのかチェック出来て、苦手な分野を重点的に演習することが出来た。塾が家の近くにあったので、家で勉強しているとき、わからない問題があってもすぐに行くことができ、気軽に質問することが出来た。

自分の受験の思い出
-志望校変更の時の話-
大阪大学を志望校にしたのは、9月の体育祭が終わったあとだった。最初目指していたT大は国語やリスニングがあり、現役合格するには負担が大きいと思い、阪大に変更した。阪大に変えることにより国語の勉強量が減り、その分他の科目にあてられると考えたが実際はそうはいかなかった。油断はしていなかったが、心の奥底にある慢心が自分のペンを鈍らせ、難問に出会っても、こんな難しい問題は阪大では出ないと高をくくり、それまで国語に当てていた時間はグータラする時間になってしまった。今思えば、勉強時間を違う科目に当てられるといった理由も実は嘘で、模試で結果が出ない辛さからのエスケープだったかもしれない。辛さから逃げるために志望校を変えたが、実際にはあの有様だったから逆に落ちるかもしれない恐怖で一杯だった自分は、運良く現役合格出来たものの、結果が出ないから志望校を変えるということは、よく考えてからやるべきだと思う。

-センター前日の話-
明日のセンターに向けて最後の追い込み中、やけに鼻水が出ていたから一応、病院に行ってみた。
インフルエンザだった。センターの要項には、インフルの人は受験したらダメだという。いやいや、追試を受けろって?いやいやいや、追試はムズい。それに人生かかってる。諦める訳にはいかない。どうしても本試験を受けなくては...。その日は熱がどんどん上がる中、普段は食べない干し柿や青汁など体に良いものを体の中に押し込み、不安と緊張で震える体を抑えながら夜10時に就寝。布団にくるまり朦朧とする意識の中、いろいろ考えた。もし、熱がひどくなって頭が全然働かなくなったら?もし、大学に落ちたら?いやだ、またこんな1年を繰り返したくない。朝になって目を覚まし体温を計ると、38度。調子は悪くない。いけそうか?親に試験会場に連れて行ってもらい、あらかじめ手配しておいた別室受験を敢行。頭が徐々にボーっとする中、ほぼ膝蓋腱反射的に問題を解いていった。あまりにも頭がやられたので、国語の難化に気づかなかったり、物理の公式があやふやになったり、ⅠAを震えながら解いた。センターが終わり神様に祈るような気持ちで自己採点をすると、ボーダー+6。あの時ほどホッとした時は今までなかったもしれない。

このように、受験はどんなことがあっても諦めずにガムシャラにやっていくことが大事だと思う。
最後になりましたが、このたび自分が大阪大学に現役合格したことにおきましては、先生方、周りのみなさまのおかげであり感謝の気持ちでいっぱいです。この気持ちを後輩達にも味わってほしいと思い、彼等の何か役に立てばいいなと思い合格体験記を書いたしだいであります。何が言いたいか分からないことがあったかもしれませんが、雰囲気さえ伝わっていただければよろしいかなと思っております。