広大附属・学院・修道中学合格 宇品東小 男子

生徒

    合格体験記
 僕が大木スクールに通い始めたのは、四年生の時だ。たった週二回の塾通いだが、不安と緊張でいっぱいだった。
 どんな先生がいるんだろう、すぐに友達ができるだろうか、勉強についていけるだろうか、遊ぶ時間がなくなるなあなどの思いを胸に僕は塾に入った。
 あっという間に、授業は終わり、塾を出たときは次の授業のことを考えて、次の授業がとても楽しみになった。家に帰っても興奮して授業の話をしたことを今でもよく覚えている。
 五年生になると、難しくて分からないことが多かったけど、すぐに補習などで対応してくれた。少しがんばるとお菓子や文具券をくれたのはうれしかった。そして、お互いにはげまし合い、高め合うことのできた友達がいたことも良かったと思う。
 本番の日、真っ白な服で雪ダルマのような先生から、カイロを受け取った。それは僕を温め、勇気づけてくれた。大木スクール、ありがとう。
 そして、いつもむかえに来てくれたお父さん、お母さん、そして我が愛犬ころっけ…。三年間支えてくれてありがとうございました。


保護者

 窓から明かりが漏れる校舎をしみじみ見上げていた。広島学院の試験前夜。1月24日のことだ。「よく頑張ってきたな」と息子を褒めてやりたい気持ちと同時に、寂しさもこみ上げた。「今夜で最後なんだな」と。迎えに通った3年間。受験を通じ子どもに寄り添い、その体温や息づかいを感じながら過ごせた時間だった。
 二人で自転車を走らせる帰り道。大げさなようだが、私の宝物だった。学校のこと、大木の友達の笑い話、そしてゲームの攻略法…交わす何でもない会話に、彼の誇りや不安、そして成長を感じとっていた。
 とはいえ頑張ったのは彼だ。浅学非才の夫婦が勉強を見てやれたのは5年までか。あとはもう塾にお任せで、「宿題やった?」と声をかけるだけ。六年の秋には、ほとんど家で勉強をしなくなった。
 ただ、「大丈夫。塾でやってるから」との言葉は、なぜか説得力があった。休まず通う頑張りを素直に評価していたからだろうし、大木の先生方への信頼があったからか。実際、親が手を出せなくなってから成績は上がった。「プロ」とはそういうものなのだろう。
 中学受験に挑んだ3年間。試練に相対した彼には悪いが、あえぎながらも成長する息子と伴走できる喜びがあった。どこか安心しながら歩めたのは、間違いなく先生方のおかげだ。今、息子が袖を通そうとする制服は、30年以上前に私が戸惑いながら着たものと同じ。これもまたしみじみしている。